気が付くとキールはベッドに寝かされていた。
自分の家ではない。
それよりも高くて、造りのしっかりとした天井。
彼は二、三度瞬きをして目の具合を確かめる。
窓からは優しい日差しが降り注ぐ。
違和感はない。
どうやらただの目潰しだったようだ。
シノンと子供。
安堵した瞬間、二人の顔が脳裏をよぎる。
彼は急いで起き上がった。
頭が鉛のように重たかったが、動けないほどではなかった。
キールはベッドから降りると忍び足で部屋を移動し、ドアを少し開けて外の様子を伺った。
部屋は廊下に面しており、廊下は先が見えないほど長い。
彼は廊下に延々と敷かれた質素な絨毯を見て、この建物が盗賊ギルドの屋敷であることに気付いた。
店を持つまでは幾度となく訪れたことがあり、彼が足を踏み入れるのは集会室くらいだったが、そこにも同じ絨毯が敷かれていた。
歓楽街の最奥にあり、表向きは娼館兼酒場として経営している。
自分がここにいる、ということはカイユの証言を鵜呑みにして、すぐにシノンらがどうこうされることはなさそうだ。
キールはそう判断してドアを閉めた。
鏡で自分の顔を確かめると右頬が腫れている以外に大した怪我はない。
当然のことながら剣や隠し持っていたナイフは回収されてしまったようだが、服も今朝起きたときと同じものだった。
彼はその場で何度か軽くステップを踏み、平衡感覚が戻っていることを確認すると部屋を出た。
壁伝いに滑るように移動しながら物陰を探す。
もしここがギルドの客間であれば、昼間は娼館の女たちがいるはずだ。
見つかって悲鳴でもあげられた日には面倒なことになる。
しかし、長い廊下を渡りきるまでに身を潜められそうな場所はなく、降り階段があるだけだった。
やみくもに動くのは危険であったが、話のわかる人間に自分とシノンが濡れ衣を着せられていることを早急に知らせる必要がある。
キールは素早く階段を降り切ると耳をすませて周囲の様子を探った。
近くの部屋から話し声が聞こえる。
さっきまで彼がいた部屋のちょうど真下近くに、他の部屋とは違う大きめな造りのドアがあり、そこから聞こえる声のようだった。
微かに開いたドアからそっとなかの様子を伺う。
室内では優雅にティーカップをくゆらせながら、シノンと盗賊ギルドの長ロングヴィルがなにやら話し合っていた。
「おお、起きたのか」
気配に気付いたのか、ロングヴィルが部屋の入り口に向かって手を上げる。
「……なに、してる?」
「ああ、万屋がきてくれたからな。昨夜のことを聞いてたところだ」
「いえ、長。今のはあんたに聞いたんじゃない。おい、そこで紅茶啜ってるお前だよ」
キールは折角回復した平衡感覚が再び失われていく気がしてシノンを指差した。
当の本人は何食わぬ顔をして紅茶をひとくち飲んだ。
「朝、子供を神殿に引き渡して家に戻ったら物騒な連中がうろついていたんでね。直接話のわかる人間の場所にきた」
「お前なぁ」と言いかけてキールは止めた。
よしんばシノンがキールになにかしらの方法で伝えたとしても、彼の店がカイユによって壊されることは避けられなかっただろう。
「それで?俺への濡れ衣はなくなったのかい」
疲れ果てた、といった顔をしたキールの質問には応えず、代わりにロングヴィルが宥めるように言う。
「カイユのやり方にはもう飽き飽きしている。奴には相応の報いを与えるつもりだ。それとお前の店にも可能な限り便宜を図ろう」
「しかし」と言って彼は頭痛持ちのように指をこめかみへ当てた。
「うかつだったな、キール。もう少し用心深いと思ってた」
「……?」
「今回の件、俺は疑っちゃいないが、他の連中はお前らが犯人だと信じきってる」
「な……」
キールは絶句する。
自分がこうして介抱され、シノンが招き入れられているのに解せなかった。
「目撃証言が誤解を招くようなことばかりだからな。まあ、とりあえず調査中ってことにしといたが、危ないぞ」
ロングヴィルは椅子から立ち上がり棚のなかから酒を取り出し、栓を開けて琥珀色の液体をティーカップに少し注いだ。
部屋じゅうに干し葡萄のような芳醇な香りが広がる。
きっとキールやシノンの稼ぎでは買おうなんて考えるにも及ばない上等な酒なのだろう。
「小娘つかまえてじゃれ合うくらいだったら、落ち着いて状況を把握するべきだったな」
痛いところをつかれてキールは押し黙った。
「俺たちがいるこの世界において、仲間意識なんて希薄だ。裏切り、蹴落とし、詐欺は当たり前だ」
ロングヴィルは椅子へ掛けなおし、カップに顔を近付け香りを楽しむと、シノンにも酒瓶を勧めたが彼は首を振った。
「だけどな、そういう奴らに限って仲間内で殺しがあると、仇討ちだなんだとお祭り騒ぎになる。みんな退屈してんのさ」
やれやれ、と彼はため息をついた。
「折も折、マルベックの、いやウィーネ諸国全体の流通レートがつり上がり、自治議会はどういうつもりかこの時期に『査察』を承諾しやがった」
「知ってたか?」と訊ねるロングヴィルにキールは頷いた。
「俺個人としちゃあ、すぐにでもお前たちから疑いを晴らしてやりたい。だけどな、これ以上薄っぺらい布袋にものを詰め込んだら破裂しちまう」
ロングヴィルが言わんとしていることはわかった。
つまり、昨夜の事件は欲求不満の溜まった盗賊ギルドの連中、恐らくは他の組合関係者もいるかもしれないが、彼らにとって恰好のネタになってしまったのだ。
同胞が殺されたことで共通の敵となりうる者へ鬱憤をぶちまけようとする輩、他人の不幸を食いものにする輩……そういった人間たちが寄り集まる。
そして今現在、最も安易に疑うことができるのは、現場で神官と小競り合いをした盗賊兼商人と普段の動向が知れない貧民窟に住まう奇人、この二人の青年だった。
「踏んだり蹴ったりだ」
「……同情する」
壁に寄り掛かって天を仰いだキールを見て、ロングヴィルはやりきれない気持ちになった。
ロングヴィルがマルベックの盗賊ギルドの長になったのは、キールが自分の店を持つようになって少し経ってからだった。
先代は豪放磊落な性質(たち)で面倒見が良かったため、カイユのような人間がのさばる原因にもなったのだが、周囲に惜しまれつつ病死した。
跡を継いだロングヴィルは技量、交渉術ともにこの街で光と闇を往き来するには充分なものを持っていたが、細身の身体と繊細な顔つきが性格にも表れており、デスぺラードな連中をいまいち御しきれずにいた。
力で抑えつける方法を彼は取れない。
今回のキールたちのように犠牲にしなければならない者を見るのは心苦しいが、だからこそ今までギルドの長としての務めを果たしてこられたという自負もある。
そして彼は犠牲にする者に対しても、必ずチャンスを与える。
「だが、いつまでもこのままじゃ済まない。そうだろ?」
気を取り直してロングヴィルは二人をティーカップで差した。
「……ひょっとして、ヴードを殺した犯人を自分たちの手であげてこいって、そういう話か?」
ロングヴィルは壮年の男性らしい余裕を漂わせ、そのひと言を待っていたとばかりに微笑んだ。
「話が早くて助かる」
彼は懐から鍵を取り出し、キールに投げてよこした。
「歓楽街に『カッツェ』って名前の娼館がある。裏口の鍵だ。情報交換とか必要なものの受け渡しはそこでやる。俺が協力していることを表沙汰にできねぇからな。シノンには迷惑をかけるが……」
と言いかけてロングヴィルが偏屈な魔術師を見遣る。
「俺は今の暮らしを維持できれば、それでいい」
シノンは彼の視線を受けて面白くなさそうに言った。
「というわけだ。健闘を祈る」
話は終わったとばかりに彼は席を立つ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
キールは慌てて彼が部屋から出られないよう、ドアの前で両手を広げた。
「どこで寝泊まりすりゃいい?あんたもさっき言ったろう、危ないぞって」
二人がこれから用心するのは、夜に紛れて動くことを常としている盗賊たちだ。
血気盛んな若い連中が噂を鵜呑みにして、正義感とでも仁義とでも言おうか、そういった厄介な集団心理でキールたちを襲わないとは限らない。
なにより、彼の家は今朝手酷く荒らされたばかりだ。
キールとしては、下手な場所での寝泊まりは遠慮したかった。
「ああ、それなら心配ない」
ロングヴィルはキールの肩に、ぽん、と手を置くと。
「ちゃんと守ってもらえよ」
悪戯っぽく笑って部屋から出て行ってしまった。
意味がわからない、といった顔をしたキールを見てシノンはなにやら笑いを堪えていた。
肩をすくめたキールだったが、シノンとロングヴィルの笑みの理由を、彼はすぐに知ることとなる。
「……」
身支度を整え屋敷から出るとキールは唖然とした。
でもそれは相手にとっても同じだった。
「ど、どうして……」
彼の姿を目にした女は喉から絞り出すように言った。
そこには昨夜キールがからかったリープフラウという神官騎士と、その上官であるらしいイェーガー司祭が立っていた。
「昨夜は失礼しました」
イェーガーは柔和な笑みを浮かべて二人に会釈した。
「話が見えないんだが……」
「ロングヴィル氏から説明を受けていないのですか?」
「なにも聞いてないぞ」
キールはこの際、彼の背後でぼんやりと突っ立っている魔術師には確認しなかった。
「それでは説明いたします。私たちはあなたがたを保護するため、また事件の調査協力を要請するために馳せ参じました」
朗々たる声で美丈夫然とした聖職者は語った。
『守ってもらえ』ってそういう意味かよ。
キールは今すぐに踵を返し、ロングヴィルを殴りに行かなかったことを自画自賛したい気持ちでいっぱいだった。
【neme】 幻実
【about】 なんか書いてるよ、このひと
【caution!!】
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