「どうして神殿が盗賊ギルドの殺しに首を突っ込む?」
歓楽街から出て神殿へ向かう道すがら、キールは面倒くさそうに訊ねた。
本来、マルベックで事件が起こればそれは自警団と呼ばれる自治国家ならではの、旅商に雇われた用心棒(バウンサー)や流れ者の傭兵、そして国家から選出された者たちで組織された有志部隊が取り仕切る。
神殿はあくまで死傷者の対応や、事件の発端が宗教がらみであったときのみ、指揮権を有するはずだった。
リープフラウが彼に対しての反感を顕わにして黙っていたため、仕方ない、といった様子でイェーガーが答えた。
「昨夜の死体には、誰かに傷つけられた跡がありませんでした」
「……俺の見間違いじゃなけりゃ、頭の辺りに血溜まりがあったと思うんだが」
「ええ、おっしゃるとおりです。でもあれは自分でやったものです」
「なに?」
「遺体を室内に運んだとき、自警団のみなさんも我々も息を飲みましたよ。あれほどまでに苦悶の表情を浮かべたまま亡くなった方を、私は今まで見たことがありません」
イェーガーの説明によると、ヴードは戦慄の表情を浮かべ、なぜか自分で自分の顔じゅうを引っ掻いていたらしい。
目、鼻、口とあらゆる場所に切創や無数の擦過傷があり、指先にはこそぎ取った自身の肉片が大量に付着していた。
特に損傷が酷かったのは耳で、文字通り跡かたもなく潰れていた。
「しかし、顔の傷だけで絶命したとは考えられません。確かに出血は酷かったですが」
「つまり、どういうことなんだよ」
キールが少しじれたように言う。
「それをこれから、調べていただきます」
イェーガーは一行の最後尾を歩いているシノンを振り返った。
「呪詛や病魔の可能性があるとすれば、我々の祈り(プレイ)や讃歌(チャント)にて恩寵(サクラメント)を具現化できますが、それはありませんでした。となると……」
「魔力感応(センス・マジック)」
シノンがぼそり、とイェーガーの言葉を引き継ぐ。
「そうです」
「自警団が手を引いたのはそのせいか」
「まあ、八割がたそうでしょうね。彼らはあくまでバウンサーや傭兵の集団ですから、魔術や信仰による奇跡に長けている人材は少ない」
「解せないな」
「と、おっしゃると?」
「この街には俺以上に腕のたつ魔術師なんて、腐るほどいる。どうして俺なんだ?」
「ご謙遜を。『路地裏の万屋』」
イェーガーはシノンの二つ名を出して話を続ける。
「探知や鑑定の魔術への造詣が深く、仕事も丁寧だと聴く。私個人の意見ですが、魔術とは本来、人々の生活を豊かにし正しき方向へとその力を導くもの、と考えております。あなたの姿勢はまさにそれだ。多額の報酬でいかがわしい依頼を受ける他の魔術師たちよりも私はあなたのほうを評価します。それに……」
「悪いが、断る」
まだ続きそうだったイェーガーの長口上をシノンはばっさりと切り捨て、足を止めた。
「おいおい」
よく喋る司祭を庇うつもりはなかったが、キールは思わず口を出した。
「さっき長の話を聞いてなかったのか?こいつらに協力するなんて、気乗りしないのはわかるけどさ」
キールの言葉にリープフラウがなにか言おうとしてイェーガーに抑えられた。
よせばいいのに、キールは彼女を挑発するように嘲笑して見せる。
そんな彼らのやりとりには目もくれず、シノンは絞り出すような声で言った。
「気乗りする、しないの問題じゃない」
「じゃあ、なんだよ?」
「それは……」
言い淀むシノンにイェーガーが手を叩いて「ああ、そうでした」と言葉をかける。
「言い忘れてましたけど、魔術師ギルドの行使制限は本件の解決終了まで取り下げてもらっています」
「へえ、あんたたちにかかりゃ、なんでもありだな。黒羊もどうにかできんじゃねえか」
「あ、あなたはどうして……っ」
キールの入れた茶々にリープフラウは我慢し切れず、とうとう食いついた。
「よしなさい、二人とも」
イェーガーはため息をついて二人をいさめる。
これではまるで子供の引率だ、と彼は内心呆れた。
「でもまあ、良かったな。これで心おきなく動けるじゃないか」
「……」
キールは脳天気にシノンの背中を叩いたが、彼は頷きもしない。
その様子を見てイェーガーは、くすり、と笑った。
「それと、この件が終わるまで我々は全力であなたがたを保護します。あなたもいろいろと事情がおありのようですが、どうぞご心配なく」
イェーガーの言葉にシノンは息を飲んだ。
胡散臭い司祭の飄々とした表情からはなにも伺い知ることはできない。
しばらくシノンはイェーガーの顔を睨みつけていたが、ため息をついて肩をすくめ再び歩き出す。
「どういうこった?」
キールの質問に答えることもなく彼は黙々と歩き続けた。
神殿は質素ではあるがしっかりとした造りをしていて、重い両開きの入り口を開けるとすぐに礼拝堂へ通じる。
天井は大げさなくらいに高く、天窓からの採光によって周囲には神秘的な雰囲気が漂っていた。
いくつもの長椅子が並び、霞んで見えるほど奥にはマルベックで最も多くの人々が信仰している神の偶像と礼拝時に聖職者が立つ教壇がある。
室内はかなりの広さだったが、よく手入れが行き届いており塵ひとつ落ちていないようだった。
礼拝堂を横目に祭器室や謁見所を通り過ぎ、一行は暗く閉ざされた地下階へと進んだ。
地下階の床は大地がむき出しになっており、壁や柱は木製で、長い廊下に沿っていくつかの部屋があるらしくドアが並んでいた。
術的な仕掛けか建物の造りか、ひんやりとしており一定の間隔で置かれた灯からほんのりあたたかさを感じる態度だった。
暑い日であれば快適に過ごせそうな場所だったが、訪れる者は決して長居したいと思わないだろう。
冷たい空気にはカビや邪気を払う香の匂いに混じってどうにもごまかせない死臭が感じられたし、異様なほどの静寂(しじま)は生者の鼓動さえ飲み込んでしまいそうだった。
「お二人とも、これを」
目的の部屋の前でイェーガーはキールとシノンに、銀製のロザリオを渡した。
「信徒になれ、というわけではありません。着けておくことはあなたがたの身を守ることになるのです」
キールの口が歪んだのを見て、イェーガーはにこやかに先手を打ち彼の皮肉を封じた。
つまらなそうにロザリオを首にかけるキールを見て、リープフラウは上官を誇らしげに眺めた。
「この部屋にはなにかしら不自然な力によって死んだ者たちが眠っています。安置することによって解呪したり、様々な処置を行うわけですが、時折彷徨う魂が悪意を持って生者を襲うことがありますので」
寒気を誘うような軋みをたててドアが開く。
部屋は小さな酒場程度の広さで、なかには簡素な木の棺が並べられており腐敗を防ぐためか冷気が一段と強くなった。
もちろん、死臭もだ。
「それでは、さっそく」
先導するイェーガーが振り向いて頷くと、リープフラウが前へ進み出て最近できたばかりとわかる新しい棺の蓋を開けた。
イェーガーの話通り、ヴードの顔は傷だらけだった。
何かしらの処置を施したのか、表情だけは安らかに眠っているときのそれだったが、青白い皮膚や裂けた肉はこの男が既に死んでいることを如実に表していた。
リープフラウは遺体を曝したことが死者への冒涜とならぬよう手で印を切る。
キールがひとしきり遺体を確認し終えると、入れ替わりにシノンが前へ進み出た。
彼はなるべく遺体を見ないようにしながら、手早く準備を始めた。
懐から古びた紙切れを取り出し、遺体の顔に被せる。
紙切れはちょうど顔と同じくらいの大きさで、幾重にも重なり複雑な模様が描かれた円や、中心にリボンのような文字をあしらったヘキサグラムなどが書き込まれていた。
遺体の周りに黒い石や儀式用のなにかを置いて準備を終えると、彼は右手に小さなナイフを持ち、左手を遺体の顔にかざす。
魔術師が魔術を行使するとき、よほどの高等技術を持つ者でない限り、発動の媒体となるものが必要となる。
大抵は杖だったり、ロッドだったりするが、シノンの場合はシンプルな装飾のナイフを媒体としていた。
儀式や術式の途中で振りかざすこともあるので、刃物を使うのはあまりよろしくないのだが彼はナイフを使い続けていた。
精神集中のため、ひとつ息をついてから瞳を閉じる。
ややあって、静かな室内に朗々たる声が響いた。
キールは彼が呪文を詠唱する姿を何度か見たことがあるのでそうでもなかったが、普段の彼、または彼の噂を知る者が見たら驚くだろう。
イェーガーは感嘆し、リープフラウは目を見張っている。
それくらい、シノンは凛としていた。
偏屈、無口、緩慢と言われている男が、魔術を行使するときだけは躍動的だ。
まるでこの一瞬のために日々の力を温存しているかのように。
「……?」
シノンの詠唱と儀式が続く間に、遺体の周囲に置かれたものに変化が現れ始めた。
キールが近付いて確認すると、黒い石は崩れて砂のようになり、顔に被せられた紙切れには禍々しい光を放ちながら奇妙な模様が浮かび上がっている。
そして完全に文字列が浮かび上がったとき、シノンは詠唱を止めた。
「やはり、そうでしたか」
イェーガーが遺体に被さった紙切れを手に取った。
文字列は今や、もとからそこに記されていたかのように鮮明に表れている。
「なんて書いてあるんだ?」
覗き込んだキールが誰ともなく訊ねた。
「文字そのものに意味はありませんよ。一種のシンボルみたいなものです。この対象物、つまりは遺体に魔力の残滓があったということを示す、ね」
イェーガーがそれに応える。
「はっきりとわかります。やはり魔術的な力が原因、というわけですね。さすがは『路地裏の万屋』といったところ……」
嬉々としてシノンの顔を見たイェーガーだったが、すぐに険しい表情を見せる。
「リープフラウ、すぐに寝所の準備を」
「え?」
「いいから、早く!」
突然の命に戸惑うリープフラウであったが、イェーガーのただならぬ声に弾かれ部屋から出て行く。
事態が把握できずにシノンの顔を見たキールは固まった。
「お、おい!どうしたってんだよ……」
シノンの顔には苦悶の表情が浮かび、したたり落ちるほどの汗をかいていた。息も荒く立っているのがやっと、といった様子だ。
先ほどまであんなに強い光を宿していた瞳も、今はどんよりと曇っており、焦点が合っていない。
「おい、シノン!」
「……まったく、これだから……」
シノンは、ぼそり、と毒づいて糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。
【neme】 幻実
【about】 なんか書いてるよ、このひと
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