「それで?」
男女が交わる生々しい臭いをすぐ隣に感じながら、キールとロングヴィルは向き合っていた。
歓楽街の一画にある娼館『カッツェ』の小部屋。
普段は娼婦以外の従業員たちが小休止したり、食事を摂るための場所で、薄汚れたテーブルと座り心地のすこぶる悪い椅子が二脚あるだけの粗末な部屋だ。
酒や食事を運んだり、客を案内するのは大抵が男の給仕だが、こんな場所で毎晩食事をしていると思うとキールは彼らに同情した。
もっとも、好きでやっている者もなかにはいるのだろうけれど。
「なにか具体的な情報はあったのか?」
「いいや」
ロングヴィルの吐きだす煙管の煙をぼんやり眺めながら、キールは力なく言った。
キールたちがあてのないマンドラゴラ探索を始めてから、既に五日が経とうとしている。
結局、人の形をした奇妙な植物の根はどこにもなく、馬を走らせて街の端から端を探しても自生しているような場所は見当たらなかった。
先の見えない現状もさることながら、キールの神経をより疲弊させることがある。
シノンが倒れた日以来、どうしてかキールの相方にはリープフラウがあてがわれた。
「どうして、って……キールさんは街を隅々までご存知でしょう?」
シノンの推測によってこれからの動きが定まった日の翌朝。
イェーガーが提案した役割にキールは断固抗議した。
「それならシノンのほうが貧民窟のなかはよく知ってるし、なんとかって魔術で街じゅうを洗えるじゃないか」
「シノンさんには私と資料集めをしていただきます」
「知識人気取りかお前ら!」
指を差されたシノンは彼の言葉など耳に入らぬようで、机に向かってなにかを読み耽っていた。
傍らに立ったリープフラウが「どうして私があなたとひと括りに……」とぼやく。
「じゃあ、あなたがこれを全部調べてくださいますか?」
イェーガーはそう言って、辞典ほどの厚さがある紙をキールの目前に突き出した。
全てのページは細かい文字で黒々としており、よくわからない図面やリストがある。
「ここ数ヶ月の間にマルベックへ出入りした人やものの概要です。これは私たちが巡礼者や関係する物資を記録するために集めたものです。全てに目を通したら、今度は自治議会、自警団、各ギルドへ行ってさらに多くの情報を集めます。リープフラウにはこれらの情報を引き出す権限がありません。私が代わりに街へ出ても意味がないのですよ。それとも、シノンさんと交替しますか?」
キールは押し黙ってイェーガーの指示に従った。
確かにイェーガーの人選は的確だった。
商人兼盗賊であるキールは街の表と裏の顔に精通しているし、リープフラウは治安の良い地区においては人々の警戒心を解く材料になる。
しかし。
「長……俺ぁ、もう限界だ」
キールは汚い机のうえに突っ伏した。
「相当、あの娘にしごかれているようだな」
ロングヴィルは紫煙をくゆらせながら苦笑した。
「笑いごとじゃねぇぞ。あのアマ、飯もゆっくり食わせちゃくれねぇ。神殿に戻りゃ酒が飲めねえから昼間しかチャンスはないってのに」
二人は水と油のように反発し合っていた。
大抵はリープフラウの頑なさにキールが匙を投げて従う、といった状態に落ち着く。
だからキールは欲求不満を溜め込むばかりであった。
「あいつの頭には鉄の塊が詰まってる。間違いねぇ」
「そうぼやくなよ」
ロングヴィルはそう言って懐から小さな酒瓶を取り出し、キールに放ってやった。
「あいつらの保護下に入らなかったら、お前らはここから出てくしかないだろ?俺としても可愛い子供を見捨てるのは気が引ける」
「使える人材、の間違いだろう」と言いかけてキールは旨そうに酒を飲んだ。
熱い塊が喉を過ぎて胃へと下っていく。
久しぶりの感覚にキールはほっと息をついた。
「ひとつ、役に立つかわからんが情報がある」
「なんだい?」
この際、藁にもすがりたい気持ちでキールは身を乗り出す。
「このところ、奇妙な二人連れが街のあちこちに現れるらしい」
「奇妙な二人連れ?」
「そう」とロングヴィルは説明する。
なんでもその二人は街のあらゆる薬屋と錬金術師の店、それに蔵書を抱え込んだ知識人たちの家を訪ねて回っているらしい。
ひとりは小柄な少女で、もうひとりは深緑のローブに身を包んだ怪人だと言う。
「ああ、そいつらなら一度だけ見かけたな」
キールは惚れ薬やら媚薬やらのいかがわしい薬を扱う店に聞き込みをしたとき、その二人組が出てくるのを見かけていた。
「万屋の推測が正しければ、これほど怪しい連中もいないだろう」
「単純に、二人でお楽しみってわけじゃなさそうだな」
キールはそう言って、もうひと口酒を飲んだ。
翌日、キールとリープフラウは街を探索するにあたり、やみくもに動くのではなく、薬屋、錬金術師の店を中心に回ることにした。
マルベックは国土が小さく、ほとんどを商業施設や住宅が占めているため農業や牧畜からは程遠い。
戦乱が起きて物流が止まれば真っ先に犠牲になるのは、この国に住まう人々だろう。
そのため自治議会は食糧や薬品の保存法に力を入れている。
自給自足に弱いという背景からマルベックは、薬草学や錬金術による長期保存用の加工技術に長けており、国外から食糧や薬草がよく運ばれる。
しかしそれがキールたちの調査をより困難にしていた。
来る日も来る日も調査書に目を通すシノンとイェーガーの労力には計り知れないものがある。
キールたちとて植物に関連するということで、今までも薬草や毒草の類を扱う場所を訪ねたことはあったが、有力な話を聞けたことはない。
結局、当たりをつけたものの、二人はマンドラゴラに関することはおろか、奇妙な二人組に会えることもなく昼食を摂ることになった。
日が少し傾きかけている食堂には人がまばらで、残っているものも軽食しかない。
「あと、エールをひとつ」
「結構です」
「……」
このやり取りも定型化してきたな、とキールは苦笑する。
「腹が膨れねぇよ。一杯くらいいいだろう?」
「ダメです」
リープフラウはぴしゃり、とキールの要望を跳ね退けた。
キールは諦めて、困った顔で二人を見比べている給仕に注文は以上、と手で合図した。
「あんたといると酒の神様に嫌われそうだ」
おどけて言うキールに向かって、「馬鹿なことを」とリープフラウは呆れ顔を見せる。
「毎晩、夕食のときに『食前酒』を飲んでいるではありませんか」
どこが食前なのか、と言いたげに彼女はそこだけ強調して言った。
キールは鼻を鳴らしてグラスに注がれた水を飲んだ。
「度を過ぎた飲酒は判断力を鈍らせます。夜は黙認しているのですから、日の明るいうちは自重してください」
「俺は酒の神様に愛されてるから、ちょっとやそっとじゃ正体なくしたりしないよ」
リープフラウはキールの軽口をため息で受け流す。
この男には緊張感や危機感というものが欠落している。
事件を解決しなければ彼は罪人扱いされ、法に守られたとしても相応の報復を受ける可能性があるというのに。
「まったく、あなたは自分の立場がわかっているのですか」
運ばれてきたサラダとパンに早速手をつけ始めるキールに向かってリープフラウは訊ねる。
「この事件の原因をはっきりさせない限り、あなただけでなくシノン殿も普通に暮らすことができないのですよ?」
「だろうなぁ」
キールの他人事のような反応にリープフラウは絶句する。
「なにかあてでもあるのですか?」
「なにも」
「それなら、なおのこと……」
キールは口に詰め込んだものを咀嚼し終えると、皿を彼女のほうに寄せた。
「食えよ。俺がひとりで全部食っちまう」
リープフラウは「はぁ」と曖昧に返事をしてパンを手に取り、千切って口に運んだ。
パンはほんのりあたたかく、香ばしい風味が口に広がる。
彼女はそこで初めて自分が空腹であったことに気付いた。
「食うときは食う、休むときは休む。これは大事だぜ?盗賊だろうが、商人だろうが、神官だろうが」
「……はい」
少し気恥ずかしくなってリープフラウは俯く。
そうしてしばし二人の間には食事の音だけが流れた。
「さっきの話」
食事を終え給仕が皿を下げると、キールはゆっくりと口を開いた。
「……ええ」
「もしそうなったら、街を出るだけさ」
「そ、そんなに簡単なことですか?あなたが今まで築いてきたものはどうするのです?ロングヴィル殿や懇意になさっている方々は……」
「さあね?また縁がありゃ、会えるんじゃないか」
「そんな……」
リープフラウの哀しげな顔を見て、キールはうんざりしながら言う。
「あのな、あんたがなにをそんなに心配してるのかは知らんが、俺にはしがみついてでも守りたいものなんてありゃしない。確かに店を失ったのは腹立たしいが、命を賭けるほどのもんじゃない。またどっかでやり直せばいい。生きてさえいりゃ、どうにでもなる」
「……」
「きっと、あいつも同じだと思うぜ。少なくとも俺の周りにはそういう考え方の奴しかいないよ」
「私には、理解できかねます」
「理解する必要はないし、俺たちの真似をする必要もない。あんたはあんたの信じる通りに生きりゃいいのさ。こうやってたまたまつるむ機会があったってだけじゃねぇか」
怒りを抑えているように声を震わせたリープフラウを見て、キールは不思議そうな顔を向けた。
リープフラウが下唇を噛み締めて、なにかを言おうとしたとき。
「お客様っ?」
食器が割れる音と給仕の声が聞こえた。
二人が音のしたほうに視線を向けると、そこには深緑のローブに身を包んだ人物と、その人物に抱きかかえられた小柄な少女がいた。
【neme】 幻実
【about】 なんか書いてるよ、このひと
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