「どうして神殿が盗賊ギルドの殺しに首を突っ込む?」
歓楽街から出て神殿へ向かう道すがら、キールは面倒くさそうに訊ねた。
本来、マルベックで事件が起こればそれは自警団と呼ばれる自治国家ならではの、旅商に雇われた用心棒(バウンサー)や流れ者の傭兵、そして国家から選出された者たちで組織された有志部隊が取り仕切る。
神殿はあくまで死傷者の対応や、事件の発端が宗教がらみであったときのみ、指揮権を有するはずだった。
リープフラウが彼に対しての反感を顕わにして黙っていたため、仕方ない、といった様子でイェーガーが答えた。
「昨夜の死体には、誰かに傷つけられた跡がありませんでした」
「……俺の見間違いじゃなけりゃ、頭の辺りに血溜まりがあったと思うんだが」
「ええ、おっしゃるとおりです。でもあれは自分でやったものです」
「なに?」
「遺体を室内に運んだとき、自警団のみなさんも我々も息を飲みましたよ。あれほどまでに苦悶の表情を浮かべたまま亡くなった方を、私は今まで見たことがありません」
イェーガーの説明によると、ヴードは戦慄の表情を浮かべ、なぜか自分で自分の顔じゅうを引っ掻いていたらしい。
目、鼻、口とあらゆる場所に切創や無数の擦過傷があり、指先にはこそぎ取った自身の肉片が大量に付着していた。
特に損傷が酷かったのは耳で、文字通り跡かたもなく潰れていた。
「しかし、顔の傷だけで絶命したとは考えられません。確かに出血は酷かったですが」
「つまり、どういうことなんだよ」
キールが少しじれたように言う。
「それをこれから、調べていただきます」
イェーガーは一行の最後尾を歩いているシノンを振り返った。
「呪詛や病魔の可能性があるとすれば、我々の祈り(プレイ)や讃歌(チャント)にて恩寵(サクラメント)を具現化できますが、それはありませんでした。となると……」
「魔力感応(センス・マジック)」
シノンがぼそり、とイェーガーの言葉を引き継ぐ。
「そうです」
「自警団が手を引いたのはそのせいか」
「まあ、八割がたそうでしょうね。彼らはあくまでバウンサーや傭兵の集団ですから、魔術や信仰による奇跡に長けている人材は少ない」
「解せないな」
「と、おっしゃると?」
「この街には俺以上に腕のたつ魔術師なんて、腐るほどいる。どうして俺なんだ?」
「ご謙遜を。『路地裏の万屋』」
イェーガーはシノンの二つ名を出して話を続ける。
「探知や鑑定の魔術への造詣が深く、仕事も丁寧だと聴く。私個人の意見ですが、魔術とは本来、人々の生活を豊かにし正しき方向へとその力を導くもの、と考えております。あなたの姿勢はまさにそれだ。多額の報酬でいかがわしい依頼を受ける他の魔術師たちよりも私はあなたのほうを評価します。それに……」
「悪いが、断る」
まだ続きそうだったイェーガーの長口上をシノンはばっさりと切り捨て、足を止めた。
「おいおい」
よく喋る司祭を庇うつもりはなかったが、キールは思わず口を出した。
「さっき長の話を聞いてなかったのか?こいつらに協力するなんて、気乗りしないのはわかるけどさ」
キールの言葉にリープフラウがなにか言おうとしてイェーガーに抑えられた。
よせばいいのに、キールは彼女を挑発するように嘲笑して見せる。
そんな彼らのやりとりには目もくれず、シノンは絞り出すような声で言った。
「気乗りする、しないの問題じゃない」
「じゃあ、なんだよ?」
「それは……」
言い淀むシノンにイェーガーが手を叩いて「ああ、そうでした」と言葉をかける。
「言い忘れてましたけど、魔術師ギルドの行使制限は本件の解決終了まで取り下げてもらっています」
「へえ、あんたたちにかかりゃ、なんでもありだな。黒羊もどうにかできんじゃねえか」
「あ、あなたはどうして……っ」
キールの入れた茶々にリープフラウは我慢し切れず、とうとう食いついた。
「よしなさい、二人とも」
イェーガーはため息をついて二人をいさめる。
これではまるで子供の引率だ、と彼は内心呆れた。
「でもまあ、良かったな。これで心おきなく動けるじゃないか」
「……」
キールは脳天気にシノンの背中を叩いたが、彼は頷きもしない。
その様子を見てイェーガーは、くすり、と笑った。
「それと、この件が終わるまで我々は全力であなたがたを保護します。あなたもいろいろと事情がおありのようですが、どうぞご心配なく」
イェーガーの言葉にシノンは息を飲んだ。
胡散臭い司祭の飄々とした表情からはなにも伺い知ることはできない。
しばらくシノンはイェーガーの顔を睨みつけていたが、ため息をついて肩をすくめ再び歩き出す。
「どういうこった?」
キールの質問に答えることもなく彼は黙々と歩き続けた。
神殿は質素ではあるがしっかりとした造りをしていて、重い両開きの入り口を開けるとすぐに礼拝堂へ通じる。
天井は大げさなくらいに高く、天窓からの採光によって周囲には神秘的な雰囲気が漂っていた。
いくつもの長椅子が並び、霞んで見えるほど奥にはマルベックで最も多くの人々が信仰している神の偶像と礼拝時に聖職者が立つ教壇がある。
室内はかなりの広さだったが、よく手入れが行き届いており塵ひとつ落ちていないようだった。
礼拝堂を横目に祭器室や謁見所を通り過ぎ、一行は暗く閉ざされた地下階へと進んだ。
地下階の床は大地がむき出しになっており、壁や柱は木製で、長い廊下に沿っていくつかの部屋があるらしくドアが並んでいた。
術的な仕掛けか建物の造りか、ひんやりとしており一定の間隔で置かれた灯からほんのりあたたかさを感じる態度だった。
暑い日であれば快適に過ごせそうな場所だったが、訪れる者は決して長居したいと思わないだろう。
冷たい空気にはカビや邪気を払う香の匂いに混じってどうにもごまかせない死臭が感じられたし、異様なほどの静寂(しじま)は生者の鼓動さえ飲み込んでしまいそうだった。
「お二人とも、これを」
目的の部屋の前でイェーガーはキールとシノンに、銀製のロザリオを渡した。
「信徒になれ、というわけではありません。着けておくことはあなたがたの身を守ることになるのです」
キールの口が歪んだのを見て、イェーガーはにこやかに先手を打ち彼の皮肉を封じた。
つまらなそうにロザリオを首にかけるキールを見て、リープフラウは上官を誇らしげに眺めた。
「この部屋にはなにかしら不自然な力によって死んだ者たちが眠っています。安置することによって解呪したり、様々な処置を行うわけですが、時折彷徨う魂が悪意を持って生者を襲うことがありますので」
寒気を誘うような軋みをたててドアが開く。
部屋は小さな酒場程度の広さで、なかには簡素な木の棺が並べられており腐敗を防ぐためか冷気が一段と強くなった。
もちろん、死臭もだ。
「それでは、さっそく」
先導するイェーガーが振り向いて頷くと、リープフラウが前へ進み出て最近できたばかりとわかる新しい棺の蓋を開けた。
イェーガーの話通り、ヴードの顔は傷だらけだった。
何かしらの処置を施したのか、表情だけは安らかに眠っているときのそれだったが、青白い皮膚や裂けた肉はこの男が既に死んでいることを如実に表していた。
リープフラウは遺体を曝したことが死者への冒涜とならぬよう手で印を切る。
キールがひとしきり遺体を確認し終えると、入れ替わりにシノンが前へ進み出た。
彼はなるべく遺体を見ないようにしながら、手早く準備を始めた。
懐から古びた紙切れを取り出し、遺体の顔に被せる。
紙切れはちょうど顔と同じくらいの大きさで、幾重にも重なり複雑な模様が描かれた円や、中心にリボンのような文字をあしらったヘキサグラムなどが書き込まれていた。
遺体の周りに黒い石や儀式用のなにかを置いて準備を終えると、彼は右手に小さなナイフを持ち、左手を遺体の顔にかざす。
魔術師が魔術を行使するとき、よほどの高等技術を持つ者でない限り、発動の媒体となるものが必要となる。
大抵は杖だったり、ロッドだったりするが、シノンの場合はシンプルな装飾のナイフを媒体としていた。
儀式や術式の途中で振りかざすこともあるので、刃物を使うのはあまりよろしくないのだが彼はナイフを使い続けていた。
精神集中のため、ひとつ息をついてから瞳を閉じる。
ややあって、静かな室内に朗々たる声が響いた。
キールは彼が呪文を詠唱する姿を何度か見たことがあるのでそうでもなかったが、普段の彼、または彼の噂を知る者が見たら驚くだろう。
イェーガーは感嘆し、リープフラウは目を見張っている。
それくらい、シノンは凛としていた。
偏屈、無口、緩慢と言われている男が、魔術を行使するときだけは躍動的だ。
まるでこの一瞬のために日々の力を温存しているかのように。
「……?」
シノンの詠唱と儀式が続く間に、遺体の周囲に置かれたものに変化が現れ始めた。
キールが近付いて確認すると、黒い石は崩れて砂のようになり、顔に被せられた紙切れには禍々しい光を放ちながら奇妙な模様が浮かび上がっている。
そして完全に文字列が浮かび上がったとき、シノンは詠唱を止めた。
「やはり、そうでしたか」
イェーガーが遺体に被さった紙切れを手に取った。
文字列は今や、もとからそこに記されていたかのように鮮明に表れている。
「なんて書いてあるんだ?」
覗き込んだキールが誰ともなく訊ねた。
「文字そのものに意味はありませんよ。一種のシンボルみたいなものです。この対象物、つまりは遺体に魔力の残滓があったということを示す、ね」
イェーガーがそれに応える。
「はっきりとわかります。やはり魔術的な力が原因、というわけですね。さすがは『路地裏の万屋』といったところ……」
嬉々としてシノンの顔を見たイェーガーだったが、すぐに険しい表情を見せる。
「リープフラウ、すぐに寝所の準備を」
「え?」
「いいから、早く!」
突然の命に戸惑うリープフラウであったが、イェーガーのただならぬ声に弾かれ部屋から出て行く。
事態が把握できずにシノンの顔を見たキールは固まった。
「お、おい!どうしたってんだよ……」
シノンの顔には苦悶の表情が浮かび、したたり落ちるほどの汗をかいていた。息も荒く立っているのがやっと、といった様子だ。
先ほどまであんなに強い光を宿していた瞳も、今はどんよりと曇っており、焦点が合っていない。
「おい、シノン!」
「……まったく、これだから……」
シノンは、ぼそり、と毒づいて糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。
キールはもはや見るかげもなくなった店先で片づけを始めた。
シノンはすぐに神殿内の客人用個室で介抱されたが、まだ眠っている。
どうして魔術行使のあと卒倒したのか。
魔術に限らず、祈りや精霊との交信といった行動には凄まじい集中力を必要とする。
体調が悪い者や疲弊している人間が使えば倒れることも不思議ではない。
しかし、シノンの身体を診た限り、そういった要因は見つからなかった。
手当をした神官たちは首を傾げるばかりだったが、イェーガーだけはなにかを知っている様子だった。
気に入らなかったが、キールは敢えてイェーガーには追求しなかった。
もし、本当に伝えたいことがあるのなら、本人の口から聞くべきだと思う。
誰だって直視できない過去のひとつや二つある。
この街で最も付き合いの長いレフのことすら、キールはあまり知らない。
そしてキール自身も、自分がもとは商家の産まれであったことは誰にも言っていない。
お互いさまなのだ。
事件のせいで神殿に寝泊まりしなければならないとはいえ、ある程度の自由は認められていた。
そんなわけでキールはシノンの意識が戻るまで、今朝カイユたちにいいように破壊された店をせめて片づけようとやってきたのだった。
背後で足音がした。
キールは咄嗟に懐の投げナイフに手を伸ばす。
しかし、そこにいたのは純白の鎧に身を包んだ若い女騎士だった。
「勝手に動かないでいただきたいのですが」
息を切らしながらリープフラウは憮然として言った。
必ず二人ひと組で行動するように、とのイェーガーからのお達しだったが、キールはシノンの容体を聞くとすぐに神殿から出てきてしまったのだ。
「ああ、あんたか」とキールは彼女に一瞥くれると、再びがれきの山の整理にあたった。
その態度を見てリープフラウは険しい目をする。
リープフラウがマルベックの神殿にやってきたのはほんの最近のことだ。
彼女の故郷、アルキール大陸の北西部に位置する国家ヌーヴは、優れた統治体制のもと治安の良さと国力の豊かさではウィーネ諸国で一、二を争う。
そんな国の中流階級の家庭に産まれ、道徳や倫理といったものを教え込まれて育った彼女にとって、マルベックは背徳の街といっても差し支えなかった。
誰しもが理想や気高い思想に俯いて、目を合わせようともしない。
全身全霊を込めて人間の本来あるべき姿を説いても、その場では卑屈に笑い、裏でコインの勘定に精を出す。
そういった人々の吹き溜まりだった。
そして、昨夜初めて『生きた反応』をした者といえば、この男だったのである。
「キール、と言いましたね?この際です。はっきりさせておきましょう」
彼女はがれきの山にしゃがみ込む背中に近付いた。
「昨夜お会いしたときからそうですが、あなたはどうして神を蔑むようなことばかり口にするのです?人には救いが必要です。救いの対象を貶めることは間違っています。そうは思いませんか?」
キールは応えず割れた瓶を拾い上げ、首を振ってそれを投げ捨てた。
「あなたの信じるものはなんなのですか?」
リープフラウは重ねて問う。
どうせ応える気などないのだろう、と次の言葉をつぐために彼女は口を開きかけた。
「信じるもの、ね……」
予想に反してキールは手を止め立ち上がった。
振り返りじっとリープフラウを見つめる。
昨夜の出会いから今日の半分をともに過ごし、無礼で下賤だと毛嫌いしているはずの男の視線を彼女は真っ直ぐに受け止めた。
傾きかけた日が逆光になり彼がどんな表情(かお)をしているかはわからない。
わからないけれど、なぜか目を逸らしてはいけない気がした。
「……なあ、あんた、自分の上官のこと、どれくらい知ってる?」
返ってきた言葉は予想だにしないものだった。
「そ、それと、今の話とどう関係があるのですか?話をはぐらかさないでいただきたい」
「そんなつもりはない。ただ……少し思うところがあってね」
キールは少しの間、リープフラウの言葉を待っていたけれど、やがて肩をすくめて作業に戻ってしまった。
誠実に応えるべきだったろうか、とリープフラウが後悔したとき。
「俺はべつに、神様をバカにしてるわけじゃない。神様の名前を使って偉そうにしてる奴らが嫌いなだけだ」
背中を向けたままキールはぶっきらぼうにそう言った。
「そんな人間は……」
リープフラウが反論し切る前にキールは言葉を被せた。
「いるはずない、か?残念ながらいるんだよ、必ずな。そしてそいつらを許容してる神様は、あんたが信じてる神様と一緒なんだよ」
なにかしら、リープフラウのなかで引っ掛かるものがあった。
彼の言葉は、まるで……
「……キール、あなた……」
「……勘弁してくれ」
リープフラウの憐れむような視線に気付き、キールは失笑した。
†
こそばゆい視線を感じ、シノンは意識を取り戻した。
「りんご……」
目を開けると昨日の子供の泣きそうな顔が至近距離にあった。
「ああっ、こら。こんなところに入って……」
たくさんの洗濯物を抱えた使用人らしい女が慌てて部屋に入ってくる。
「戻りましょ、ね?」
女が微笑んであやしても、子供はシノンのシーツを握ってその場から動こうとしない。
「お休みなさってるお客様に迷惑だし……」
彼女は塞がった両手と子供を見比べて困り果てた顔をした。
「いい」
シノンは掠れた声で女に言った。
「でも……」
「かまわない」
「助かります。それでは申し訳ございませんが、少しの間だけお邪魔させていただきますね。これを置いたらすぐに戻ってきますから」
女はにこやかに笑って部屋を出て行った。
子供は湯浴みをしたらしく飾り気のない清潔なローブを着せられ、ぼさぼさだった髪の毛は花のかたちを模した髪結いでひとつに束ねられていた。
「なんだお前、女の子、だったんだな」
シノンはそう呟いて子供に弱々しい笑みを向けた。
「りんご、りんご」
女の子は笑みを向けられて安心したのか、ベッドに上体を預けてぴょんぴょんと跳ねた。
こんな幼子がひとりきりで貧民窟にいた経緯は知るよしもないが、両親が見当たらず心細かったのだろう。
見知った顔を見つけて彼女は喜んでいるようだった。
いや、ひょっとしたらこの娘は産まれたときから親の顔を認識できる状況じゃなかったのかもしれない。
シノンは親がそばにいないのに、泣くこともない女の子の身の上を想像した。
「お前はどこで、どんな人たちから産まれたんだ?」
通じないとはわかっていたが、シノンは訊ねる。
子供は首を傾げて彼に顔を近付けた。
「……どうすれば、いいんだろうな」
シノンは子供の頬にそっと手を当てた。
†
「原因はマンドラゴラってやつだ」
夜になり夕食の席でシノンは全員に説明を始めた。
彼の意識が戻ったという知らせはイェーガーによって、レフの酒場へ寄ろうとしていたキールとそれを止めようとしていたリープフラウに伝えられ、彼らは今、この事件に関わりのある四人だけで食事をとっている。
「なんだそりゃ?」
キールはもう五杯目になる食前酒に口をつけて訊ねた。
斜め前からリープフラウの視線が突き刺さるが、気にしないことにしておく。
「処刑台や戦場跡、そういったところに染み付いた諸々の思念を吸って自生する植物、というかなんというか」
「人の思念を養分にする植物、というよりは、魔法生物のようなものですか?」
「……そういうことだ」
シノンはイェーガーの言葉に頷いた。
「見た目は茄子に似ているが果実は橙色で甘い芳香を放つ。食えないこともないが不味くて好んで食う奴はいない。果実よりも根を使う場合が多いな。強力な毒性を持つが使い方によっては優れた薬にもなる」
「うえ、そんなところに生えるものを食うのかよ」
キールが舌を出して顔をしかめた。
「形を見たら余計に、口にしようとは思えない代物だな」
シノンはキールの言葉を聞いて懐から本を取り出し、あるページを開いて一同に見せた。
「こ、これは」
リープフラウが絶句する。
そこには頭に植物の枝葉を生やし、両手を後ろ手に縛られ身体を捩じらせたような格好をした人の絵があった。
絵そのものは写実的ではないが、マンドラゴラという植物の不気味さは充分に伝わる。
「マンドラゴラのおぞましいところは生える条件や、毒性だけじゃない。なんといってもこの根の部分だ。こいつは土から引っこ抜くと悲鳴を上げる。それもただの悲鳴じゃない。聞いた者が悶死するような悲鳴だ」
「なるほど、それであの遺体は……」
イェーガーが得心する。
「そう、あんたたちが見たっていう苦悶の表情、それに異常な力で掻き毟られた耳。死因については断定してもいいだろう」
シノンは遺体の様子を思い出したくもないのか、唾を吐き捨てるようにして言った。
「やれやれ、長にとっとと店を建て直してもらわないとな」
これで事件は解決、とばかりにキールはグラスを干し、使用人の呼び鈴を鳴らそうとしたが、リープフラウが手を伸ばして呼び鈴を取ってしまう。
「……だったらいいんだけどな」
「不自然、というわけですね」
揉み合うキールとリープフラウを置いて、シノンとイェーガーは話を続けた。
キールが呼び鈴を諦めてシノンに疑問の顔を向ける。
「自生する場所は、年季の入ったギロチン台の根元か死霊が湧き出てきそうな戦場跡に限定される。ここじゃ人殺しなんて珍しいことじゃない。だけど……」
人と物が絶えず流動するマルベックにおいては、積年の憎悪や失意が停滞して土地に染み込むということは考えにくかった。
「お前の話からすると、その気味の悪い根っこがどこかにあるんじゃないのか?」
「……だな。誰かが持ち帰ったりしない限りは、な」
キールの指摘にシノンは重々しく頷いた。
「まさか、意図的に発生を促した輩がいると?」
イェーガーが推測する。
「話がややこしくなるから、考えたくはないんだが……理論的には不可能じゃない」
シノンは肩をすくめた。
キールもシノンが懸念していることを理解して、大きなため息をついた。
はっきりとした原因がわからなければ、彼らの身に及ぶ危険は取り払われないだろう。
「この人数で街じゅう探せってか……」
キールは言葉にしてはいけないと思っていたことを、思わず呻いてしまった。
マルベック、ソーモン地区。
自治議会がある街の中心部で治安や利便性に力を入れているため、地価が高くこぎれいな宿屋や商業施設が軒を連ねている。
なかでも古くから存在し、老舗と呼ばれるような宿では、一泊しただけでも町民がしばらく暮らせるほどの宿泊費を請求される。
よってこの地域で宿を取る者は、各国の来賓をはじめとした、いわゆる貴族階級以上の人間たちに限られる。
並みの旅商や巡礼者、貧乏な冒険者たちは歓楽街やキールの店がある地区で治安の悪さに警戒しながら過ごすのが普通だった。
だからその二人組がフロントにやってきたとき、他の宿泊客はもとより従業員までもが好奇の眼差しを送ったのも、無理からぬことだった。
「こちらでしばらく宿をとりたいのです。空き部屋はございますか?」
やたらと丁寧な言葉遣いで訪問者のひとりがフロント係の男に訊ねた。
「どれくらいのご滞在をお考えですか?」
男は慇懃な態度を崩すことなく、宿泊名簿をめくった。
「ひと月ほど」
その言葉を聞いた瞬間、彼は失笑して女の顔を一瞥した。
顔にまだあどけなさが残る、女というよりは少女といったほうがよさそうな面持ちに、長旅用の無骨な外套で身を包んでいる。
少女の後ろには深緑のローブに身を包んだ人物が佇んでいた。
さっきからひと言も喋らないうえに、フードを目深にかぶって顔が判別できないが、背格好から男性のようだった。
「申し訳ございませんが、ただ今空き部屋はございません」
「……今の時期であれば宿屋はどこも閑散としている、と街で伺ったのですが。こちらはできたばかりのようだし、どこへ行くにも便利なので是非とも利用したいのです」
少女は疑わしげに彼の顔を見た。
「お褒めにあずかり光栄でございます。しかし申し訳ございませんが、手前どもの宿ではお客様にご紹介できるお部屋はございません」
男はいろいろな意味を込めて二人の宿泊を断ると、もう話すことはない、といった様子で自身の手元に視線を落とし、それまで着手していた作業に戻った。
にべもない様子のフロント係に少女が困惑の表情を浮かべて背後を振り向くと、フードに覆われた人物の頭部が微かに動いた。
彼女はそれを見て毅然とした態度でフロントに向き直る。
「とりあえず前金でこれだけお支払いたします」
そう言って彼女は外套のなかから、握り拳大の重そうな革袋を取り出した。
胡散臭そうに袋の中身を見た男の顔が強張る。
そこにはウィーネ諸国共通の金貨がぎっしりと詰まっていた。
「なにか?」
「い、いいえ。し、失礼いたしました。もう一度名簿を確認して参りますので、少々お待ちください」
男は大慌てで名簿を見直す『ふり』をしてから、咳払いをひとつ。
「ひ、ひとつだけご案内できるお部屋がございます」
「まあ、それはよかった」
少女は芝居がかった仕草で手を合わせる。
「滞在中に足りなくなりましたら、お手数ですがお声かけくださいね」
名簿に二人分の名前を素早く書き込みキーを受け取ると、可憐な花のような笑顔を残して少女はローブの人物と共に颯爽とフロントを後にした。
「どうもこの国の人々は金銭の有無で対応を変えるようですわ」
部屋に入ると少女は外套を脱いで手近にあった椅子の背にかけ、後から部屋に入った人物の羽織っていたマントに手をかけようとした。
「ユーリ様、どうされ……」
手で動きを制された少女が不思議そうな顔をすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
ユーリと呼ばれたローブの人物から発せられた声は男のものだった。
「失礼します」
彼の返事を受けて若い男性の使用人が部屋に入ってきた。
使用人は食事をする場所やらなにやらをひと通り説明すると、指先を擦って見せた。
ユーリは自身の懐から金貨を一枚取り出して、少女に渡すよう促す。
彼女は面白くなさそうにしながらも、ユーリから受け取った金貨を使用人に手渡した。
使用人は深々とお辞儀をして部屋を出て行った。
「いやらしい笑いかた」
少女はたっぷり間を置いてからそう言って、部屋の鍵をかけユーリのマントを脱がせた。
「大金をちらつかせると、こうなるから嫌だね」
「申し訳ありません。私の交渉が拙いばかりに」
「ルマージュのせいじゃないよ」
ユーリは苦笑してベッドに腰掛けた。
王宮のなかにあっても遜色ない、柔らかな感触だった。
これなら彼女の身体にも負担にならないだろう、とユーリは内心ほっとする。
「すぐにでも『探索』に出られるのですか?」
ルマージュと呼ばれた少女は自身の外套とユーリのマントを抱えて衣装棚にかけたり、備え付けの茶器を用意したりと動き回りながら訊ねる。
「いや、今日は結構歩いたからね。ゆっくり休んで明日動こう」
その言葉にルマージュは少し複雑な顔を見せた。
「私なら、大丈夫です。まだ夕暮れまで時間がありますし、お伴しますわ」
ユーリはしばらく彼女の顔を見つめていたが、やがて目を閉じてベッドに寝転がった。
「うわっ、ふかふかだ。君もやってご覧よ」
「ユーリ様……」
「ぼくが疲れているだけだよ。マルベックには旨い煮込み料理があるらしいから、それを食べに行こう。君が作るのとどちらが旨いだろうね?」
「もう……」
子供のように笑う彼を見てルマージュも頬を緩ませた。
そして心のなかでそっと感謝する。
「それはそうとルマージュ」
「はい?」
「本当に同じ部屋でよかったのかい?」
「な、なにを仰るんです!」
少女はからかうようなユーリの言葉に、頬を紅潮させてそっぽを向いてしまう。
「ぼくも健全な男だからね。君のためを思ってさ」
「な、な、な……」
「資金のことなら心配ない。どうせ『結社』の連中は相当貯め込んでいるだろうから」
ルマージュは目を白黒させて抗議の言葉を考えていたが、やがて俯くと寂しそうに、ぽつり、と呟いた。
「なにもしないくせに……」
「冗談だよ、って……」
彼女の呟きとユーリの声が重なった。
「うん?なにか言った?」
「なんでもありませんっ」
先ほど廊下を歩いてきた使用人の足音には気付いたくせに、聞こえていないわけがないとルマージュは苛立つ。
彼女はユーリの背後に回ると、少し乱暴に彼のフードをめくり上げる。
「痛いな」
ユーリの『突き出た耳』が勢いよく飛び出した。
「『髭』にも引っかかったじゃないか」
「知りません、もう」
やれやれ、とユーリはルマージュの後姿を眺めながら、自分の『毛むくじゃらな頬』を撫でた。
【neme】 幻実
【about】 なんか書いてるよ、このひと
【caution!!】
※本サイトにおいて作成された作品の無断転載、配布、加工等は一切禁止いたします。
※未完成なサイトですが、なにかございましたらコメントなどにてお知らせください。
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